190210thought

自己観察(思考の観察)と「思考は現実になる!」の関係は!?

皆さんこんにちは!

自己観察、順調に進んでいますか!

今回は「自己観察」(思考の観察)と「思考は現実になる」との関係について見ていきたいと思います。

思考は現実になる!

「思考は現実になる」だからネガティブな(否定的な、あるいは悪い性質の)思考は持たないようにしようって、これまで様々な精神的指導者が述べてきていますね。もちろん、私もそれは正しいと思っています。でも聖人クラスの人は別として、普通に暮らしている我々一般人にとって、ネガティブな思考を持たないっていっても、頭の中をネガティブな思考が流れない、ということまでは言えないのではないかと思います。

どこからどこまでをネガティブの範囲とするかという問題もあるでしょうが、普通に暮らしていればネガティブ系の性質を帯びている思考なんていくらでも流れてくるでしょう。要はネガティブな思考が流れても、それに気づいて取り込まれないことが重要っていうことだと思います。

でもだからと言って、「ネガティブな思考だから」ってハナから拒絶してしまったり、あるいはフタをして見なかったことにしてしまうと、その思考は貴方の中に温存されることになり、貴方に認めてもらえるまで、時を変え形を変えて再び貴方の中に何度でも浮上してきます。

このネガティブな思考というのは、わかりやすく言えば、ずっと昔から貴方の中にあって、貴方に存在を見つけてもらって開放してもらいたいと思っていたものだと考えると、ちょっとわかりやすいかも知れまん。つまり自分の中にネガティブな質の思考があることを認めたうえで、観察を通してリリース(解放)することが重要となってくるのです。

ネガティブな思考は貴方自身のなんらかのこだわりからきている場合もあり、貴方の中のこだわりが消えるまで何度も繰り返して出てくる可能性も有りますが、逆に言えば、観察を通してこれを完全に解放しきった時、貴方自身もまた自分の中の強いこだわりから解放されているハズです。

思考は判断を加えずにただ観察していると、最初は本人を突き動かすほどのパワーを持っていたとしても、やがてはその勢いを失ってどこへともなく消滅します。それはまるで青い空にモクモクと現れて大きくなり、やがてはどこへともなく消えていく雲の方でもありますね。

だからたとえネガティブな性質の思考が現れても手を加えずに自分の中を通過させてしまえばいいのです。思考に取り込まれずに観察して流す練習を積み重ねていくと、やがては流れてくる思考の質が変わってくると言われています。ですので、観察を通してネガティブな思考を減少させるか、思考の質を変えていけばいいのです。

思考から目を背けるのではなくしっかり見つめる

かのジョセフ・マーフィーは「思考はモノである」と言っていましたが、思考の観察をしていくうえでもその考えは役に立ちます。観察対象である思考をモノと考えるわけです。

我々は何かを考えている時に、思考そのものが「自分」であると思いがちですが、実はそうではなく、どこからともなく流れてきた(あるいは湧き出てきた)ものである思考に一時的に「表現の場」を貸しているにすぎないと考えるわけです。そのように考えれば、どんな思考が自分の中に現れても、実害を被ることなく流してしまうことができるのです。

頭の中を流れる思考は、自分にとって都合の良い内容のものもあれば、どうしても許せない内容のもの、目を背けたくなるような性質のものなど…実に様々です。

自分にとって都合の悪い思考が沸き起こっている時、「ああ、こんなこと考えちゃいけないんだ!」ってフタをしたり目を背けたりしてしまうと、上述したように、その思考は自分の中に温存されてしまい、別の機会にまたフッと沸き起こってくる…という無限ループに陥ってしまいます。

自分にとって許せない度合の高い思考は、自分の人生に課されたクリアすべき課題と考えるならば、思考に取り込まれないように気をつけながら、その思考が自分の中を流れていく様、消えていく様をしっかり見つめることで課題を一つクリアしたことになるのです。自分にとって「許せない」と考えてきたもの・思考の存在は、実は自分にとっての研磨石的な存在なのかもしれません。沸き起こった思考に判断や修正を一切加えず、拒絶もせずに、ありのままの姿で自分の中を通過されることで、自分の器が大きくなり、よりトータルな存在に近づいていけるからです。

ふ~っ…(^_^;)…今日はこのへんで! Ciao!